分からせる

いま自分が端から見てどんなに愚かな事をしているか分からせるのは、

どんなに残酷なのだろう、と思うことがある。

 

少年事件で女子高生コンクリ殺人は有名だが、懲役を受けた少年のうち

一人は事の重大さを理解し、収監中に精神を病んだ。

勿論、酷いことをしたのだし、自分のしたことを理解することが更生への

第一歩だ。その是非ではなく、よく言われる、知らない方が幸せ、というものだ。

 

ああ、知らない方が良かった。こんなこと知らない方が良かった。

誰にも迷惑を掛けていないのだから、知らない方が良かったのに。

どうして分かってしまったんだろう。ずっと?のままの方が良かったのに。

毎日真っ白な新しい世界が開く方が良かったのに。

 

掟手上今日子の備忘録を見ながら感動していたのは、どんなに最悪な記憶でも

持っている自分は幸せだからだと思っていた。

違う。

過去に関係なく今日を精一杯生きる今日子に感動していたのだ。

 

分かったのは過去だ。明日がどんな日かなんて誰にも分からない。

生きろ。

 

こだわり

題名は覚えていないが、星新一の作品を一昨年あたり数十年振りに読んだ。10年位前に最相葉月星新一全集を編纂した時に新潮社が月刊誌に特集を組んだ。

凡庸な50代位の男性があることにこだわり、人生をかけてさまよい続けるが、最後にそのこだわりを捨て、思い出を糧に生きるという話だ。

その当時は諦念感に驚き、そんな人間はいないと思った。
今は、そんな人間になった。彼と違うのは、これまでの過去が糧になる思い出じゃないという事だ。

諦念感だけが漂っている。
糧にしているとすれば、以前わたしを信用してくれた人がいるという事だ。

先日別れた友人は誰も信用出来ない人間だった。信用させることは得意だが、自分は誰も信用していない。そういう意味では孤独だ。非常に。

わたしも同じだ。誰も信用出来ない。だから、わたしを信用した彼女にこだわっているのだ。

これまで身を削ってわたしを信用してくれたのは二人だけだ。忘れる訳ないだろう。




自分だけが特別じゃない

不倫ドラマを見ていたら、既婚の不倫相手に、主人公以外にもうひとり不倫をしている相手がいることが分かった。主人公も既婚だ。

浮気をする人間なのだから、相手が何人いても不思議じゃないのに、自分だけが特別と思い込み、そうでないと分かると落ち込む。

わたしと同じだ。

何故わたしは自分だけが特別だと思い込んでいたんだろう。

自分が相手を特別だと思っているから、相手もそうだと勝手に思っていたのか。

そうじゃない。

ちゃんと、わたしだけが特別だと思わせる言葉や行動を不倫相手はしていた。

 

自分を客観的に見る。難しい。

相手の立場を考える。これは良い意味でも悪い意味でも必要だが、相手の立場に自分を置き換えてはいけない。相手は自分と同じ人間ではないのだ。自分だったらこうするだろう、などと考えてはいけない。

もし、自分だったらこうするだろうを実行するのはいいが、相手はそのセオリー通りには動かない。

どんな人間関係も、相手は自分と確実に違う価値観を持っている。

 

価値観が違ったと分かった時に、最悪の場合、ストーカーなどになったりする。

 

わたしの場合、価値観が違う時にいつもがっくりくるのだが、なんだか最後は諦めが付く。

しかし、そこが悩みだったりもする。ストーカーにならない代わりに、落胆が大きい。こうして病気になったり、一気に人を信用できなくなる。

 

人を信じては泣き、期待して、期待通りにいかない事に泣く。

相手が悪いんじゃない。

 

死ぬ時は一人だというが、生きる時だって独りだ。

神は自分だ。

 

庭の草むしりをした

今が時期、とばかりに2日に分けて庭の草むしりをした。

どくだみ草は地下茎を張るので、取っても取っても切りがない。

梅雨後にもう一回やらなければならない。

植物には恵みの季節だが、筋肉痛になった。

壁際によけておいたが、枯れたらごみに出そう。

死にたくなる夢

よく分からない夢を見た。

 

高校時代の友人の生活している場を塗り替えていく夢だ。

通勤電車、車、...後はよく覚えていない。

どれもツートーンのペンキをロールペイントしていく。

最後に見た通勤電車は緑と白で、鮮やかな仕上がりに友人も驚き、喜んでいた。

 

そうだ、思い出した。彼女の服もツートーンに塗っていた。

赤と白、黒と白。

時々彼女が塗り忘れるので、ここはこうした方がいいと言いながら塗ってあげると

(そういうと彼女はふくれっつらになるのだが)、出来上がりには満足していた。

 

わたしはそのふくれっつらが怖かった。実際のところ彼女も出来上がりについては

もうどうでも良くなっていたかもしれない。

最初に「やろう」と合意した時は意気揚々としていたが、やっていく過程で

不満げな顔に変わり、出来上がりには期待以上に喜ぶ。

最後にはほっとするのだが、途中の不満げな顔がやはり気になる。

終わり良ければ全てよし、という感じではない。

 

ああ、そうだ、ここまで書いていて思い出した。

 

先日バイトに入ったのだが、リーダーの指示通りだと暇を持て余すので、

その指示からはみ出さない範囲で自分にできることをやっていた。

これをやってくれ、に対し、これがなくなるまでやり続けた。

すると、こちらも考えながらやっているので、と言われた。

 

5日間だったので、何か注意を受ける度に次の日は指示以外のことは

一切やらないぞと決心していくのだが、暇で暇でしょうがない。

たまに自分の仕事以外も手伝って下さい、と曖昧な指示を受け、

先を読んで次の仕事がやりやすい場を作っておくと大変喜ばれたりする。

 

リーダーは非常に忙しく、催事の臨時採用だったので、1から教える暇は

ないが、指示も的確ではない。5日間は過ぎたし、割り切ればいい話だ。

それでも、注意するときの困ったような諦めたようなリーダーの顔が

忘れられない。こうして高校時代の友人を借りてまで夢に見る。

良かれと思ってやったことが仇になる。死にたくなる。

 

バイトなんてやらなきゃ良かった。

 

この結論は間違いなんだろう。総合的に見て何をどうしようもなかった。

暇を持て余していれば良かったのか。使えない奴と思われたくなかったのか。

どこかに強迫観念があった気がする。

今までやってきた職場は指示がないのが殆どだった。

かといって暇を持て余していれば切られる。

 

最近、短時間のパートやバイトをやっているが、言われた事だけをやればいい、

というのが結論だ。

そしてそれは今までの仕事に対する概念を覆す必要がある。

20年近く自分で考え、仕事をやってきて、それが醍醐味だった。

充実感があった。

 

今、考えず、きちんと出勤することだけを求められている。

どうやれば仕事にやりがいを感じられるのか。

キャリアダウンした人の考えを聞いてみたい。